日記のようなもの

自意識とオードリーの話が9割

2023年の振り返り

振り返りしよ〜と思ってたら年が明けた。まあこういう年もある。

晦日紅白歌合戦をなんだかんだ言いながらずっと見てた。dボタン押したら5票持ってたくらい。全部白組に入れた。個人的ベストアクトは10-FEETだったから。白組大敗した。なぜ。

2023年

今年の一番の変化は転職。4月に転職した。リーガルテックの事業会社に行き着いた。8ヶ月やってみて、日本でリーガルテックをやることの面白さ・意義みたいなものは少しずつ強くなってきている。し、ITってのはやっぱ、特権化された知を開放して個をエンパワメントできるんだなと再確認した。そういうところが好きだなとも思った。その辺はやりがいを感じるし、今年はもっとそれをかたちにして社会に価値を生み出していきたい。日本のリーガルテック市場はまだまだ変化を起こせるし面白いなって思った。頑張りたい。

働く環境が大きく変わり、その中でいい意味でタフな仕事の機会も得られた。人付き合いが苦手なりにも、会社の部活にも入ってみたり飲み会にもそれなりに行って人間関係の構築を頑張ったりもした(頑張った。けどほんと苦手だなって思う)。そう振り返ってみると、エネルギーを消耗して然るべき状況だったなとも思う。なんとか無事に走り切った自分を褒めたい。

ペース配分は課題を感じた。自分の体力、というか気力は、自分が思っているより落ちてきているっぽい。ペース配分を考えずに動いていたら、気づいたら12月はバテバテだった。働き始めてから最も苦しい年末だったとすら思う。息切れした状態で、なんとか冬休みにこぎつけた感覚。まじ苦しかったな。12月は正直全然機能してなかった。

2024年

「無理をしない」を大事にしたいなと思う。謎に仕事体力はあると思ってたんだけど、上述したようにぼちぼちペース配分を考えないとガス欠になるんだなってのを学んだ。し、要所要所でペース配分の下手くそさを感じることがあった。

ちょっと話は飛んで、以前「結論」を出すことについて書いた。結論を出すとはつまり、「自分には出来ないことを『出来ない』と認めて、それを克服するための努力を辞める」ということ。

42k310.hatenablog.com

このときは「自分のもつ劣等感を受け止めて、出来ないことを『出来ない』と認める方がいいのか?」と迷っていた。克服するための努力を辞めること、「得意」だけに集中することに抵抗感を覚えていた。で、結局「迷っている以上無理やり結論なんか出せませんわ」と「結論」を先送りにした。

で、いま。「結論は出すべきではない」と考えるようになった。

もうちょい話は飛んで、自分はこれまで「一貫性がないこと」を恐れていた。また「自分の弱いところに向き合わないのは怠惰である」とも思っていた。マッチョだなと思う。一度頑張ると決めたことを休むとか、そういうのを恐れていた。自分の弱いところを克服し、「最強」に近づく努力を続けないといけないと思っていた。実際のところ、全然休んだりサボったりはしちゃうんだけど、そんな自分を許すのにめちゃくちゃ時間と体力を使っていた。

この恐れはある種の馬力を生み出すこともあるから、一概に悪いものではないと今でも思うけど、自身を苦しめる側面もある。自分の強みの一つとも感じているから、手放すことに抵抗もある。だけどぼちぼち、「しなやかさ」を持ってもいいのかもなと思う。頑張る余裕があるときは頑張ればいいし、余裕がないときは無理に頑張らなくていい。「スタンスの揺らぎ」を許容するのも大事なのかもな〜と思うようになった。無理やり出した「結論」は自身を縛るものにしかならず、それに縛られてペースを乱すと結局消耗してしまう。それだとしんどいってことを学んだ。だから「結論」はあえて出さないし、「無理をしないこと」「スタンスの揺らぎを許容すること」を大事に過ごしていきたいと思う。

それが結果的に、長い目で見たら人生の幸福度とか仕事のパフォーマンスとかの最大化に繋がれば良いなと思う。「人生は長距離走」みたいなのってよく言われているし「いやいや当たり前だろうが!!!」って思ってたけど、ここに来てなんか含蓄のある言葉だなぁって思った。理解するのに34年もかかっちゃった。

ということで無理やりまとめると、2023年は自分にとって「いよいよパワープレイが通用しないことを実感した年」だったのかもしれない。物量でカバーするっていう脳筋アプローチから、自身とか仕事の状態とこまめに対話しつつ、もう一段階器用に生活とか仕事を進めることを覚えていかないとなーと思う。で、持続可能な生活と仕事を送りたい。