日記のようなもの

自意識とオードリーの話が9割

「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」へ行った

昨日、オードリーのラジオイベントのために東京ドームへ行った。本当に最高だった。めちゃくちゃ笑ったのはもちろん、めちゃくちゃ感動した。

余韻が抜けない

終わった日はもちろん、翌日になった今日も全然余韻が抜けない。ドームライブを観ていたときの感覚がずっと自分の中に残っている。

そしてその感覚を大事にしたいからこそだと思うんだけど、ドームライブの体験を他者と共有したくないという感覚にもなった。こんな日記書いといて矛盾も甚だしいんだけど。でも、自分が何を見て・何を感じて・何に心が揺さぶられたか。そもそもそれを言語化することが難しいんだけど、たとえそれが出来たとしても、自分はそれをやりたくない。芯の部分は誰にも見せたくない。自分の感動にそんなに安々と共感されてたまるか、という感覚。素晴らしい体験をしたあとっていうのは、そういう感覚になるんだなと思った。

写真を撮っておいてよかった

自分は普段、そんなに写真を撮る方ではない。体験したことを出来るだけ生の感覚で受け取りたいから。みたいな「それっぽい」ことも思うっちゃ思うけど、正直スマホ出してカメラ起動して写真撮るって行為がなんか恥ずかしいから(書いていて自分で思ったけどなんだよその理由。撮れよ)。そんな中でも昨日、数枚は写真を撮った。そして、本当に撮っておいて良かったなと思う。

ドームで体験したこと、そして今なお残るこの余韻を言葉で残しておくのは難しい。でも写真を眺めていると、それだけでドームにいたときの感覚を少し思い出せる。写真ってほんとすごいな。

安心感のある場だった

場の安心感も印象的だった。人の目を気にせずにライブを見て、笑えた。割と音楽ライブとかも人目を気にせずにいられるほうではあるんだけど、オードリーのドームライブは特にその感覚が強かった。

ほんとテキトーなことを書くけど、あの安心感は、お客さんとオードリーの間にかなり濃い文脈が共有されていたことが大きいんじゃないかと思う。ファン歴はそれぞれだけど、少なからずみんなオードリーが好きで、ラジオを聞いてドームに来た。毎週ラジオを聞くことで文脈が共有され、その結果ハイコンテクストの会話が可能になる。武道館ライブのとき、若林さんが「内輪ウケを本気でやりに来ました」と言っていたのが印象的だったけど、今回もまさに「本気の内輪ウケ」を地でいっていた(春日家の味玉事情なんてその最たる例で、ラジオ聞いてないと意味分からんし興味ない)。その「本気の内輪ウケ」で笑える・感動できるということが安心感に繋がる、みたいなことが起こっていたのかなあと思う。

最高だった、マジで

という感じで、感情が上下左右めちゃくちゃに揺さぶられた3時間半で、それだけに余韻が半端じゃなくて、本当に貴重な体験だったと思う。これだけ熱量を持って好きだと言えることがあるっていうのは、それだけで幸せなことなんだなとも思う。正直ドームに引きずられすぎて「これで明日からも頑張るゾ」って感じでは全然ないし、「俺もこんな体験を生み出したい!やるゾ!!!」って感じでもなくて、むしろまだ夢の中にいるような感覚だけど。でも確実に走馬灯のワンシーンは増えた。だからヨシってことにしよう。また数年後、お願いします☝️

『スーパースターを唄って。』と「生」について

『スーパースターを唄って。』という漫画がすごく良かった。ヤク中で親を亡くして借金返済のために売人をやっている青年 雪人が、ラップを始めるって話。良すぎてここ数日毎日読んでる。

bigcomicbros.net

「リアル」であることは自分の人生を生きるためにとても大事だと思う。空気を読んで他人に嫌われないように生きる。そうして自我を社会に飲み込まれることはほとんど死と同義だとさえ思う。そこに自我がない人生を「生」と呼んでいいはずがない。だから「リアル」であることは生きることなんだと思う。

『スーパースターを唄って。』という漫画からは「生」を強く感じられる。

絵柄こそポップだけど、話の中身はめちゃくちゃハードでずっとしんどい。雪人は日常的に上司に殴られるような状況にあっても感情が揺れず、だいたいヘラヘラしている。ここにはリアルな「自我」はなく、あるのは「社会」に向けたフェイクだけ。

だけどラップをやると決めて、トラックメイカーの友人から「嘘つくなよ」と言われてからリアルなリリックを書き、それをライブで唄う。そのライブでは確実に自我が開放されている。自我が開放されたその瞬間、それまでのフェイクへの「絶望」とリアルなライブでの「希望」のコントラストが、読んでいて気持ち良かった。「これが生きるってことだよな〜!!!」と思った。完全に余談だけど、自分が銀杏BOYZというバンドが好きな理由の一つもここにあるように思う。混沌の中に見える一筋の希望、その美しさに救い・生を感じるというか。そして強い生を感じられるという意味で大森靖子、Have a Nice Day!、MOROHA、imai(group_inou)などのバンド、DJも同様に。自分はこういう、強い生を感じられるものが好きだ。

普段は社会に合わせて自我を殺し、しかしときに爆発的に開放できる、そんな雪人に自分を重ねたのかもしれない。自分はアンダーグラウンドで生活するようなハードな状況ではないから、具体的な苦しさは雪人とは全く異なる。だけど自我の開放に生を感じる話という意味では、そこには十分自分が重なる。だからこそ自分はこの漫画に共感を覚えたのかもしれない。

爆発的な自我の開放のために音楽という手段は非常に有効だと思う。少なくとも自分にとっては。ライブとか、なんならカラオケでも良いんだけど、そういうときにふと自我を抑え込んでいる何かをぶち破ってそれを開放できる瞬間ってのがある。その瞬間ってのは最高に気持ちがいい。だから自分はライブに行くんだと思うし、歌を聴くんだと思う。大げさかもしれないけどそれは、生を感じるための行為なんだと思う。雪人にとってのラップがそうであるように。

社会に押しつぶされずに自分の人生を生きる勇気をもらえた。良かったな〜〜〜。頑張ろ

2023年の振り返り

振り返りしよ〜と思ってたら年が明けた。まあこういう年もある。

晦日紅白歌合戦をなんだかんだ言いながらずっと見てた。dボタン押したら5票持ってたくらい。全部白組に入れた。個人的ベストアクトは10-FEETだったから。白組大敗した。なぜ。

2023年

今年の一番の変化は転職。4月に転職した。リーガルテックの事業会社に行き着いた。8ヶ月やってみて、日本でリーガルテックをやることの面白さ・意義みたいなものは少しずつ強くなってきている。し、ITってのはやっぱ、特権化された知を開放して個をエンパワメントできるんだなと再確認した。そういうところが好きだなとも思った。その辺はやりがいを感じるし、今年はもっとそれをかたちにして社会に価値を生み出していきたい。日本のリーガルテック市場はまだまだ変化を起こせるし面白いなって思った。頑張りたい。

働く環境が大きく変わり、その中でいい意味でタフな仕事の機会も得られた。人付き合いが苦手なりにも、会社の部活にも入ってみたり飲み会にもそれなりに行って人間関係の構築を頑張ったりもした(頑張った。けどほんと苦手だなって思う)。そう振り返ってみると、エネルギーを消耗して然るべき状況だったなとも思う。なんとか無事に走り切った自分を褒めたい。

ペース配分は課題を感じた。自分の体力、というか気力は、自分が思っているより落ちてきているっぽい。ペース配分を考えずに動いていたら、気づいたら12月はバテバテだった。働き始めてから最も苦しい年末だったとすら思う。息切れした状態で、なんとか冬休みにこぎつけた感覚。まじ苦しかったな。12月は正直全然機能してなかった。

2024年

「無理をしない」を大事にしたいなと思う。謎に仕事体力はあると思ってたんだけど、上述したようにぼちぼちペース配分を考えないとガス欠になるんだなってのを学んだ。し、要所要所でペース配分の下手くそさを感じることがあった。

ちょっと話は飛んで、以前「結論」を出すことについて書いた。結論を出すとはつまり、「自分には出来ないことを『出来ない』と認めて、それを克服するための努力を辞める」ということ。

42k310.hatenablog.com

このときは「自分のもつ劣等感を受け止めて、出来ないことを『出来ない』と認める方がいいのか?」と迷っていた。克服するための努力を辞めること、「得意」だけに集中することに抵抗感を覚えていた。で、結局「迷っている以上無理やり結論なんか出せませんわ」と「結論」を先送りにした。

で、いま。「結論は出すべきではない」と考えるようになった。

もうちょい話は飛んで、自分はこれまで「一貫性がないこと」を恐れていた。また「自分の弱いところに向き合わないのは怠惰である」とも思っていた。マッチョだなと思う。一度頑張ると決めたことを休むとか、そういうのを恐れていた。自分の弱いところを克服し、「最強」に近づく努力を続けないといけないと思っていた。実際のところ、全然休んだりサボったりはしちゃうんだけど、そんな自分を許すのにめちゃくちゃ時間と体力を使っていた。

この恐れはある種の馬力を生み出すこともあるから、一概に悪いものではないと今でも思うけど、自身を苦しめる側面もある。自分の強みの一つとも感じているから、手放すことに抵抗もある。だけどぼちぼち、「しなやかさ」を持ってもいいのかもなと思う。頑張る余裕があるときは頑張ればいいし、余裕がないときは無理に頑張らなくていい。「スタンスの揺らぎ」を許容するのも大事なのかもな〜と思うようになった。無理やり出した「結論」は自身を縛るものにしかならず、それに縛られてペースを乱すと結局消耗してしまう。それだとしんどいってことを学んだ。だから「結論」はあえて出さないし、「無理をしないこと」「スタンスの揺らぎを許容すること」を大事に過ごしていきたいと思う。

それが結果的に、長い目で見たら人生の幸福度とか仕事のパフォーマンスとかの最大化に繋がれば良いなと思う。「人生は長距離走」みたいなのってよく言われているし「いやいや当たり前だろうが!!!」って思ってたけど、ここに来てなんか含蓄のある言葉だなぁって思った。理解するのに34年もかかっちゃった。

ということで無理やりまとめると、2023年は自分にとって「いよいよパワープレイが通用しないことを実感した年」だったのかもしれない。物量でカバーするっていう脳筋アプローチから、自身とか仕事の状態とこまめに対話しつつ、もう一段階器用に生活とか仕事を進めることを覚えていかないとなーと思う。で、持続可能な生活と仕事を送りたい。

ニューヨークでもなお拭えない自意識の話

「ニューヨーク旅行の話を思い出として残しておくか」というモチベーションで書き始めたら、結局自意識とオードリーの話になった。なんで?
せっかくだし要所要所にニューヨークの写真を挟み込むことで旅行の思い出を成仏させようと思う。

めっちゃ曇りのマンハッタン

ニューヨーク旅行に行った

先日5泊7日でニューヨークに旅行に行ってきた。5、6年ぶりの海外。
前回は中国の大連へ行った。そのときは漠然と、海外に行くと自分が開放されるような感覚になるんだなあと感じた記憶がある。
その感覚は固有の事象だと思っていたけど、その後色々な人の話を聞くに、どうやら海外に行く人はその感覚を求めている部分もあるみたいだということを知った。もともと海外旅行の魅力がよく分かってなかったんだけど(疲れるし)この感覚を知ったときから、いいもんだな〜と思うようになった。

で、今回行ってみてどうだったか。意外と自分が開放されるような感覚にはならなかった。たしかに言葉は通じないし、日本と文化とか常識が異なる感覚もあった。
けど結局自分は他者の目を気にしながら生きているんだなと思った。アメリカに行ってもなお。間違えることが恥ずかしいし、言葉が通じないとき・言葉を理解できないときに最初に感じたのは「分からなくてごめんなさい」という気持ちだった。無表情でボケてきたVANSの店員にうまく切り替えせなかったことはその後数時間引きずったし、ホテルのチェックインで5回目の「Do you understand??」を繰り出されたときはもう「Yes」とは言えず、あいまいに微笑むばかりだった。
他者から劣っているという感覚を持ちながら、そこから抜け出そうとし続ける、その葛藤ともがきの蓄積がこれまでの自分の人生なのかもしれない。そんなぁ……(旅行はちゃんと楽しかった)。

ゴロゴロしてる人がいたセントラルパーク。自意識が拭えなかった自分はゴロゴロできなかった。ここで買ったスパイダーマンのアイス、めっちゃ溶けてた

『でも、たりなくてよかった』がよかった話

最近テレビ番組のプロデューサー、安島隆さんの『でも、たりなくてよかった』を読んだ。僕が尊敬するオードリー若林さんと南海キャンディーズ山里さんの漫才ユニット「たりないふたり」の生みの親。
たりないふたりの漫才中、山里さんが他者に嫉妬し続ける様を見た若林さんが「それが山里という人間の本質だ。だからそれは変えなくていい」と言った、という話と書かれていた。
その話を読んでから僕は「生まれてから34年もの時間が経った自分という人間の本質はどこにあるのか、そろそろ欠片が見えてきたりもするのかな?」と考えるようになった。

少し前から若林さんの口から「結論」という表現をよく聞くようになった。「40代になってもまだロケが苦手。それは一つの結論だと思う」といった具合に。
逆に言うと30代ではまだまだ挑戦をしていたことの裏返しで、「結論」というのはそうした挑戦の先に出てくるものなのだと思う。また一度「結論」を出したら「もうそこに無理して挑戦しない」という意味合いも含んでいるとも思う。そうした意味で「結論を出す」という行為は可能性を閉じるものとも言える。
でも結論を出すことは、それをそのままの事象として受け入れるということでもある。そのままを受け入れられたときに初めて気持ちが楽になるというか、心の底から「そういうもん」として自意識の混じりっけがない状態に昇華(消化?)できる。

MoMAアウトサイダー・アートを代表する作家、ヘンリー・ダーガーの絵があった。感動した

まだしばらく「結論」は出せないんだと思う

自分が持つこの劣等感は自分という人間の本質・結論なのかな?と考えることがある。大人数の飲み会が苦手なら、もう無理して行かなくていいのかな?と。
30代に入った頃からちょうど、その劣等感に対しても一つ前進したような感覚がある。部分的に諦めがついたというか。でも「部分的に」というのがポイントで、まだ一部は諦めがついていない。だから「全然だめだったな〜」って日に風呂に入るときとか寝るときは「うわ〜〜〜」とか声が出ちゃう。だけど20代のときと比べたら全然生きやすくもなってる。だからそろそろ結論を出してもいいのかなと思うときもある。

そんな感じでここしばらく、「結論を出すべき」V.S.「出さない方がいい」でバトルが行われていたんだけど、なんだかんだ結論を出すことに迷っているならまだ迷っていた方がいいんだと思う。っていうか迷ってるなら結論に至れないわ、と。迷っちゃうんだから。
毎度毎度、大人数の飲み会に行くか行かないかを迷ってるのが30代の自分で、まだまだ迷いながら、行っては失敗して後悔するってのを繰り返すしかないんだろう、たぶん。
そしてこれを繰り返しながら迷わなくなったその状態を不惑っていうのか。孔子ってヤバいな、まじで。

飛行機めっちゃ揺れてトラウマになった

2023年3月末の近況と自意識について

久々の更新になっちゃった。ここ最近の振り返りでもしてみようという気分になった。 ここ最近あった出来事を思い出しながら、今後に繋がるなにかを発見できればいいなあという気持ち。

お仕事

2021年の冬に入った会社を退職して、4月から新しい会社へ転職することを決めた。 プロジェクトワークとして短期間突っ走るようなモノづくりよりも、理想の状態を熟考してじわじわとチューニングしながらもそれを作り上げていくようなモノづくりをしたいと思った。 少し先の家庭の姿を想像したことも大きかった。 これまでこんな風に自分以外の登場人物が出てくることはなかったから、そのへんは少し新鮮。なんか大人になったような気分。

最後のプロジェクトは3月上旬で終えた。ちょうど初期構築が終わったところで、プロジェクトとしても一つの大きな区切りを迎えたところだった。 ほんと面白い仕事をさせてもらったなあと思うし、素直に感謝の気持ちが湧いてくる。そういう環境で仕事できたのはありがたいなあ。 道中は色々と思うところもあったけど、やっぱ一定以上の期間を過ごすと環境とか人とかモノに愛着が生まれるんだなあというほんと当たり前の事実を感じた。 ITとエンタメを織り交ぜた飲食店を作った。売れてくれ〜面白い店だから〜

無事にオープン出来たことは嬉しいけど、プロジェクトマネジメントとか、ひいては人格みたいな点についてはまだまだ課題を感じたお仕事だった。 終盤は時間的にも気持ち的にも余裕がなくて、終始気持ちがピリピリしていた。 それは少なからず周りにも伝わってしまっていたと思う。そして毎晩自己嫌悪に襲われていた。 こういうときに一番、自分の未熟さを感じる。やっぱ強い人ってのは常に余裕があって、空気を作れる人だと思う。 もっとタフになんないとなあ。

お仕事以外の話

ここ数ヶ月で何度か飲みに行くなどした。どの会も楽しかったなあ。 2、3年くらい前から「ちゃんと誘おう」って意識を持つようにしたんだけど、これはほんとに良いなあと思う。 もともと自意識が過剰な性格なので、主観ゴリゴリで見ると「断られるとツラい…」とか「相手は俺なんかと飲みたいとは思ってないんじゃないか…」とかの気持ちが邪魔してくる。 でも冷静に逆の立場になってみるとそれは虚構だってことに気づく。「いやむしろ嬉しいじゃん」という。 そしてやってみるとやっぱ楽しい。 そうして繋がりを絶やさずに継続し続けることってのは、自分の人生を豊かにするために重要だなあと思う。

自意識の話でいうと最近、お笑いコンビオードリーの若林さんの『ナナメの夕暮れ』を読んだ。 発売された当初に一度読んで、久しぶりに再読した。 若林さんは有料noteを購読したり、ラジオを聞いたりするくらいに好きで、なんならロールモデルくらいに思っている。 「あちこちオードリー」でMCをやる様が、自分がPMとして会議をファシリテートしている様と被る。 過剰な自意識をどう扱って乗り越えるのか、みたいな生き方的な面でも自分を重ねてしまうことが多い。

『ナナメの夕暮れ』にこんな一節がある。

自意識過剰なことに対して、「誰も見てないよ」と言う人がいるがそんなことは百も承知だ。誰も見ていないのは知っているけど、自分が見ているのだ、と書いた。〝自分が見ている〟というのはどういうことかと言うと、「グランデとか言って気取っている自分が嫌だ」ということだ。こういう気持ちはどこから来るかというと、まず自分が他人に「スターバックスでグランデとか言っちゃって気取ってんじゃねぇよ」と心の内で散々バカにしてきたことが原因なのである。他者に向かって剝いた牙が、ブーメランのように弧を描いて自分に突き刺さっている状態なのである

過剰な自意識を生み出してるのは他者をバカにしている自分自身だって話で、このあと、だからそれを乗り越えるには、自分のことと他者のことを好きになることが大事だ、という話へ展開する。 救われた気分になった。 自分は、過剰な自意識が生まれる仕組みが分からなかったから不安だったんだなと思った。仕組みが分かれば扱える。 そしてそれは、自分の努力でコントロールできる。その点でも救われた。


自意識が過剰であることは面倒くさいし燃費が悪いと思う。 けどそれによって保てる調和や関係性があるということも知っている。 そういう強みを残しながらこの自意識を乗り越えられたときに、自分はまだまだ最強に近づけると感じる。し、それが生きている楽しみの一つかもしれないなあとも思う。 やるゾ〜〜〜

2022年の振り返り

紅白歌合戦を見ながら、今年一年を振り返ってみる。来年も頑張りたいなあ。

振り返り

仕事

正確には2021年11月ではあるんだけど、転職をした。プロジェクトワークとして2つのOMO店舗を開発した。 転職も初めてだったし、クライアントワークも初めてだったし、toCサービスも初めてだったし、店舗開発も初めてだった。 戸惑うことも多かったけど、多くを学ばせてもらった。

私生活

家を買って、10年住んだ高円寺を出た。 家を買うという行為は思ったよりもとんとんと話が進んだ。 少しずつ、自分だけの人生じゃなくなっていくんだと思うようになった。 高円寺ロスはなかなか抜けなかったし、なんなら3ヶ月くらい経つけどまだ抜けてない。 10年という時間はすごい。

総じて

仕事は全く新しい環境で苦労はしたけど、まあ頑張ったし、信頼も得られたと思う。 面白いお仕事も任せてもらえて、良いスタートを切れたと思う。 クライアントワークという座組には正直かなり苦労して、PMとして自分の信じた「良いもの」をストレートに世の中に送り出せたのか?と問われるとかなりグレー。このへんはまだ課題が残る。

仕事はそんな感じなんだけど、私生活が正直ちょっとなんとも言い難い。 良かった点でいうと、

  • 友達を大事に出来た
  • 新しいことを始めた(家の購入、スケボーなど)
  • 肝臓の値が正常値に戻った

あたり。まあこの辺は良かったと思う。 あとはあいみょんをイメージした髪型に変えた。数年ぶりに色とか入れてみたりして。満足度は高い。これも良かったと思う。

とはいえ、なんというか「やりきれた一年だったか?」と言われるとクエスチョンが浮かぶ。 なんもせずにダラダラと過ごした時間が多かったようにも思う。時間の濃度が低いというか。 来年はこういう時間を減らしていきたい。

2023年に向けて

仕事は引き続き色々とやったことのないことにチャレンジしたい。 知らないことを知れて、内面化出来たときってのが仕事の最大の喜びだなあと思うし、そういう経験を積み重ねていきたいと思う。 そんなことを思いながら、学びの言語化をちゃんとやったほうが良いと思うようになった。 ということで何度目か分からないけど、ブログを書こうと思った。 アウトプットとインプットにいい感じの循環を生めたらいいなあ。

あとは、健康でありたいし、健康状態を維持・向上したい。 やることはシンプルで、筋トレを再開しようと思う。 ブログほどではないけど幾度となく、始めては辞めて…を繰り返してきた。 やるだけやってみようと思う。

最後に、何かしら新しいことにチャレンジ出来ればと思う。 今年は仕事面で色々チャレンジはありつつ、スケボーを始めたり家を買ったりした。 来年はなんだろう。車の運転を出来るようになりたいかもしれないし、釣りとかやってみたいかもしれない。 本質的にはチル(照)したいような気がする。

全体的に、「意図せずダラダラしている時間」を減らしたい。


年末にインフルエンザにかかったのもあってダウナーな気分になってしまったのを引きずっている感も否めないけど、今年はちょっとなんとも言えない一年だったな。来年は飛躍したい。