日記のようなもの

自意識とオードリーの話が9割

『スーパースターを唄って。』と「生」について

『スーパースターを唄って。』という漫画がすごく良かった。ヤク中で親を亡くして借金返済のために売人をやっている青年 雪人が、ラップを始めるって話。良すぎてここ数日毎日読んでる。

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「リアル」であることは自分の人生を生きるためにとても大事だと思う。空気を読んで他人に嫌われないように生きる。そうして自我を社会に飲み込まれることはほとんど死と同義だとさえ思う。そこに自我がない人生を「生」と呼んでいいはずがない。だから「リアル」であることは生きることなんだと思う。

『スーパースターを唄って。』という漫画からは「生」を強く感じられる。

絵柄こそポップだけど、話の中身はめちゃくちゃハードでずっとしんどい。雪人は日常的に上司に殴られるような状況にあっても感情が揺れず、だいたいヘラヘラしている。ここにはリアルな「自我」はなく、あるのは「社会」に向けたフェイクだけ。

だけどラップをやると決めて、トラックメイカーの友人から「嘘つくなよ」と言われてからリアルなリリックを書き、それをライブで唄う。そのライブでは確実に自我が開放されている。自我が開放されたその瞬間、それまでのフェイクへの「絶望」とリアルなライブでの「希望」のコントラストが、読んでいて気持ち良かった。「これが生きるってことだよな〜!!!」と思った。完全に余談だけど、自分が銀杏BOYZというバンドが好きな理由の一つもここにあるように思う。混沌の中に見える一筋の希望、その美しさに救い・生を感じるというか。そして強い生を感じられるという意味で大森靖子、Have a Nice Day!、MOROHA、imai(group_inou)などのバンド、DJも同様に。自分はこういう、強い生を感じられるものが好きだ。

普段は社会に合わせて自我を殺し、しかしときに爆発的に開放できる、そんな雪人に自分を重ねたのかもしれない。自分はアンダーグラウンドで生活するようなハードな状況ではないから、具体的な苦しさは雪人とは全く異なる。だけど自我の開放に生を感じる話という意味では、そこには十分自分が重なる。だからこそ自分はこの漫画に共感を覚えたのかもしれない。

爆発的な自我の開放のために音楽という手段は非常に有効だと思う。少なくとも自分にとっては。ライブとか、なんならカラオケでも良いんだけど、そういうときにふと自我を抑え込んでいる何かをぶち破ってそれを開放できる瞬間ってのがある。その瞬間ってのは最高に気持ちがいい。だから自分はライブに行くんだと思うし、歌を聴くんだと思う。大げさかもしれないけどそれは、生を感じるための行為なんだと思う。雪人にとってのラップがそうであるように。

社会に押しつぶされずに自分の人生を生きる勇気をもらえた。良かったな〜〜〜。頑張ろ