日記のようなもの

自意識とオードリーの話が9割

2023年3月末の近況と自意識について

久々の更新になっちゃった。ここ最近の振り返りでもしてみようという気分になった。 ここ最近あった出来事を思い出しながら、今後に繋がるなにかを発見できればいいなあという気持ち。

お仕事

2021年の冬に入った会社を退職して、4月から新しい会社へ転職することを決めた。 プロジェクトワークとして短期間突っ走るようなモノづくりよりも、理想の状態を熟考してじわじわとチューニングしながらもそれを作り上げていくようなモノづくりをしたいと思った。 少し先の家庭の姿を想像したことも大きかった。 これまでこんな風に自分以外の登場人物が出てくることはなかったから、そのへんは少し新鮮。なんか大人になったような気分。

最後のプロジェクトは3月上旬で終えた。ちょうど初期構築が終わったところで、プロジェクトとしても一つの大きな区切りを迎えたところだった。 ほんと面白い仕事をさせてもらったなあと思うし、素直に感謝の気持ちが湧いてくる。そういう環境で仕事できたのはありがたいなあ。 道中は色々と思うところもあったけど、やっぱ一定以上の期間を過ごすと環境とか人とかモノに愛着が生まれるんだなあというほんと当たり前の事実を感じた。 ITとエンタメを織り交ぜた飲食店を作った。売れてくれ〜面白い店だから〜

無事にオープン出来たことは嬉しいけど、プロジェクトマネジメントとか、ひいては人格みたいな点についてはまだまだ課題を感じたお仕事だった。 終盤は時間的にも気持ち的にも余裕がなくて、終始気持ちがピリピリしていた。 それは少なからず周りにも伝わってしまっていたと思う。そして毎晩自己嫌悪に襲われていた。 こういうときに一番、自分の未熟さを感じる。やっぱ強い人ってのは常に余裕があって、空気を作れる人だと思う。 もっとタフになんないとなあ。

お仕事以外の話

ここ数ヶ月で何度か飲みに行くなどした。どの会も楽しかったなあ。 2、3年くらい前から「ちゃんと誘おう」って意識を持つようにしたんだけど、これはほんとに良いなあと思う。 もともと自意識が過剰な性格なので、主観ゴリゴリで見ると「断られるとツラい…」とか「相手は俺なんかと飲みたいとは思ってないんじゃないか…」とかの気持ちが邪魔してくる。 でも冷静に逆の立場になってみるとそれは虚構だってことに気づく。「いやむしろ嬉しいじゃん」という。 そしてやってみるとやっぱ楽しい。 そうして繋がりを絶やさずに継続し続けることってのは、自分の人生を豊かにするために重要だなあと思う。

自意識の話でいうと最近、お笑いコンビオードリーの若林さんの『ナナメの夕暮れ』を読んだ。 発売された当初に一度読んで、久しぶりに再読した。 若林さんは有料noteを購読したり、ラジオを聞いたりするくらいに好きで、なんならロールモデルくらいに思っている。 「あちこちオードリー」でMCをやる様が、自分がPMとして会議をファシリテートしている様と被る。 過剰な自意識をどう扱って乗り越えるのか、みたいな生き方的な面でも自分を重ねてしまうことが多い。

『ナナメの夕暮れ』にこんな一節がある。

自意識過剰なことに対して、「誰も見てないよ」と言う人がいるがそんなことは百も承知だ。誰も見ていないのは知っているけど、自分が見ているのだ、と書いた。〝自分が見ている〟というのはどういうことかと言うと、「グランデとか言って気取っている自分が嫌だ」ということだ。こういう気持ちはどこから来るかというと、まず自分が他人に「スターバックスでグランデとか言っちゃって気取ってんじゃねぇよ」と心の内で散々バカにしてきたことが原因なのである。他者に向かって剝いた牙が、ブーメランのように弧を描いて自分に突き刺さっている状態なのである

過剰な自意識を生み出してるのは他者をバカにしている自分自身だって話で、このあと、だからそれを乗り越えるには、自分のことと他者のことを好きになることが大事だ、という話へ展開する。 救われた気分になった。 自分は、過剰な自意識が生まれる仕組みが分からなかったから不安だったんだなと思った。仕組みが分かれば扱える。 そしてそれは、自分の努力でコントロールできる。その点でも救われた。


自意識が過剰であることは面倒くさいし燃費が悪いと思う。 けどそれによって保てる調和や関係性があるということも知っている。 そういう強みを残しながらこの自意識を乗り越えられたときに、自分はまだまだ最強に近づけると感じる。し、それが生きている楽しみの一つかもしれないなあとも思う。 やるゾ〜〜〜